孫崎享氏:領土問題と日本の国益

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マル激トーク・オン・ディマンド 第530回(2011年06月11日)
領土問題と日本の国益
ゲスト:孫崎享氏(元外務省国際情報局長)
2010年9月の尖閣沖での中国漁船と海上保安庁巡視船の衝突事件の後、同年11月にロシアのメドヴェージェフ大統領が北方領土を訪問し、先月末には韓国の国会議員3人が国後島を訪問するなど、にわかに日本の領土問題が騒がしくなっている。
 巷では、一昨年9月の政権交代の後、普天間問題などで日米関係が不安定になった間隙をついて、ここぞとばかりに各国が領有権の係争地を押さえにきたとの指摘が多いが、外務省で国際情報局長などを歴任した孫崎享氏は、こうした見方に疑問を呈する。孫崎氏はむしろ話は逆だと言うのだ。
 それは、そもそも北方領土や尖閣問題が拗れた背景にはアメリカの意向があり、今回の尖閣をめぐる一連のできごとも、背後にはアメリカの陰が見え隠れしていると、孫崎氏は分析しているからだ。孫崎氏は、日本政府は日本の国益とは関係なく、もっぱらアメリカ自身の利害得失の計算に基づいて、これまで領土問題に対するスタンスを変更してきたというのだ。そして、そのような無理な立場を正当化するために、政府は領土問題をめぐる二国間の交渉の経緯や国際法上の位置づけなどを、日本の国民に正しく説明してこなかったとも言う。
 まず、孫崎氏は戦後の領土問題を正確に理解するためには、1945年のポツダム宣言から1951年のサンフランシスコ講和条約までの流れを理解する必要があると指摘する。ポツダム宣言第8項には「日本国の主権は本州、北海道、九州、四国及吾等の決定する諸小島に局限せらるべし」と定められ、島の帰属については連合国、とりわけアメリカの意向が重大な影響を持つことが定められている。
 そして、サンフランシスコ講和条約で日本は千島列島を放棄している。これは国後、択捉両島についても当時の吉田茂首相や外務省が歴史的経緯からも千島列島に含まれるとの認識を示しているため、少なくとも国後・択捉の両島は日本が国際社会に復帰するきっかけとなるサンフランシスコ講和条約で、明確に放棄した対象に含まれているのだ。
 ではなぜ北方領土が領土問題になったのか。そこには東西冷戦下でソ連と対峙していたアメリカが、日ソの接近や日本の共産化を懸念し、日ソの平和条約締結を阻止するための工作を行ったからだと孫崎氏は言う。具体的には、1956年日ソ共同宣言を踏まえ、日本が歯舞と色丹の2島返還で平和条約を進もうとした際に、その旨を報告に来た鳩山一郎政権の重光葵外相に対して、アメリカのダレス国務長官が、国後、択捉をソ連に与えるのであれば、われわれも沖縄は返さないと恫喝して、国後、択捉の放棄を断念させたことなどがあげられる。
 日本を東アジアの対ソ拠点とし、基地を持ち続けたいアメリカは、日ソの接近を警戒していた。そして、それを推し進めようとする鳩山首相も嫌っていた。日ソを平和条約締結へと進ませないために、アメリカは沖縄を人質に取ることで、日本に4島返還を要求するよう仕向けたというのだ。…
 戦後日本は、とりわけ領土問題では、アメリカの意向を最大限に尊重することで、国民に正確な情報が提供せずに歪んだ外交政策を継続してきた。それが本当に国益にかなった行為だったかどうかを含め、今こそ真摯な検証が必要だ。
 領土問題の本質と日本の国益について、孫崎氏と考えた。