The Doors「Light My Fire」――バンドの代表曲として真っ先にジム・モリソンを思い浮かべる人が多いはずですが、この曲を主に書いたのはモリソンではなく、ギタリストのロビー・クリーガーでした。しかもクリーガーにとって、これが”生まれて初めて書いた曲”です。きっかけはモリソンの助言――「普遍的で、2年経っても消えないもの、聴き手が自由に解釈できるものを書け」。当時20歳のクリーガーは”地・風・火・水”の四大元素から「火」を選び、ローリング・ストーンズの『Play With Fire』への憧れから、メロディと歌詞の大半を一人で書き上げました。旋律は『Hey Joe』に、長いソロはコルトレーンの『My Favorite Things』の展開に着想を得たといいます。そこにモリソンが2番の歌詞(”our love become a funeral pyre”)を足し、レイ・マンザレクがバッハに影響を受けたオルガン前奏を、ジョン・デンズモアがラテン調のリズムと冒頭のスネア一発を加えて、あの”ドアーズの音”になりました。アルバム版は約7分と長く、エレクトラの要求でプロデューサーのポール・ロスチャイルドがソロをほぼ全て削り、AMラジオ向けに3分弱へ短縮。1967年7月に全米No.1を3週間守り、エレクトラ初のNo.1・ゴールド認定(100万枚)を記録します。同年9月、生放送のエド・サリヴァン・ショーでは、番組側が「couldn’t get much higher」の一行を麻薬連想として変えるよう要求。バンドはリハで従いながら、本番でモリソンが原詞を歌い、以後この番組から永久追放されました。モリソンは自分がほとんど書いていないこの最大のヒットを疎み、1969年には「くだらない」とまで語っています。さらに1968年、ビュイックがこの曲を「Come on Buick, light my fire」の車のCMに使いたいと約7万5000ドルを提示。ロンドンにいて連絡のつかないモリソンを除く3人が合意しますが、戻ったモリソンは激怒し、その車を叩き壊すと脅して契約を潰しました(デンズモアの回想)。翌年にはホセ・フェリシアーノのカバーが全米3位を記録しています。書いた本人が嫌い、他のメンバーが売り飛ばそうとした曲が、バンドの”顔”になった――その逆説ごと、もう一度どうぞ。今すぐ再生&チャンネル登録で、60〜90年代の名曲の裏側をお届けします。
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